~「CPA TALKs 2019」 イベントレポート~ 会計士の多様性【中編】
「CPA TALKs 2019」 イベントレポートの第2回目は、プレゼンターの永井 義直さん、塚越 学さんのお話をお届けします。果たして、二人は公認会計士としてどのような人生を歩んできたのでしょうか。そこには、人生の岐路に経つ度に自らの考えと判断で乗り越え、未来を切り拓いてきた姿がありました。
マイナビ会計士編集部
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落ちこぼれ公認会計士、ベトナムで人生大改革
永井 義直さん(Yoshinao Nagai)
監査法人で2年半勤務した後、2010年よりベトナムへ。日系コンサルティング会社にて、企業のベトナム進出を支援。2014年、エドテック領域にてマナボックス社を創業。ベトナムで経理学習者向けにオンライン自習・学習サービス、標準テストを提供。2018年、東京に戻り、ベトナム人初の日商簿記1級合格者タイン氏と共に在留ベトナム人に対する「簿記2級教育」のサービスの開発・提供・就職支援をしている。
私はまさに、人生大逆転のまっただ中。10年前、監査法人を退職し、今は東京でベトナム人に簿記を教えています。しかし十年前の私は、悶々としていました。どん底でした。監査法人は私を評価してくれてないし、情熱もなかった。何していいかもわかりませんでした。
監査法人に入社した頃、私はダメスタッフでした。スタッフの95%は昇進していましたが、私は残りの5%だったのです。頑張ることができれば良かったのですが、当時の私は情熱がなく、周囲にロールモデルもいませんでした。いや、ロールモデルがいたことに、気付かなかったのかもしれません。
私の居場所はここじゃない。では、どうすればいいのか。いろいろ考え、弱点を克服しようと思いました。私の弱点は英語。クライアントの半分以上が外資系でしたが、TOEICの点数は270点台。業務に支障を来し、遠回しの左遷をされてしまうほどでした。
監査法人を辞め、アメリカに渡りました。目的はなかったけれど、「It's time.」だと思ったのです。
ホームステイ先のホストがベトナム人二世だった縁もあり、半年でアメリカを離れて、ベトナムへ。ベトナムはとにかく活気があって、でもルールがない。そんな国でした。そして、私のビジネスはここで開花しました。
コンサルティング会社に入社。日本人は私一人で、他は全員ベトナム人。上司がいないので、営業も教育も採用も全部自分でやりました。クレーム対応ももちろん自分。毎日が意思決定の連続です。十倍速で成長し続けました。
32歳の時に婚約。人生の大きな転機に何かしたいと考え、IT起業を思い立ちました。教育にも興味があったので、EdTech(エドテック)のプラットフォームをアジアで作ることを決意。全財産投入しましたが、1年半で資金が底をつきました。
ビジネスは本当に難しい。でも私はめげなかった。なぜなら自分が作ったサービスに対して、情熱と思いがあったから。周囲に、こういう人になりたいと心から思えるロールモデルもたくさんいました。仲間もいました。ベトナム人の会計士が二人、私のビジネスを手伝ってくれました。
そして、2年後の2018年にはV字回復。ハノイ、ダナン、ホーチミンにオフィスを構え、スタッフ数は25人に増えました。
しかし、ここでまた転機が訪れます。日本の「外国人労働者問題」を目の当たりにして、大きなショックを受けました。日本で報道されるのは、ネガティブなニュースばかり。ベトナム人留学生に会うと、「就職がない」と嘆きます。実習生にも会って話を聞くと、「もう疲れた。帰ります」と暗い表情でした。
ベトナムではそんな言葉、聞いたことがありません。私は幹部を集めて、今の日本の状況を話し、「後は頼む」と告げて帰国しました。
SNSで日本の外国人問題を嘆いたら、あるベトナム人から連絡が来ました。20歳で来日し、日本語学校と専門学校に通い、日本語能力検定1級を取得したベトナム人です。彼は簿記も勉強しており、日商簿記検定1級を持っていました。
日本におけるベトナム人の問題点について彼と話し合う中で、武器がうっすら見えてきました。ベトナムに詳しい公認会計士の私と、日商簿記検定1級を持っているベトナム人。そう、私達たちの武器は簿記です。簿記で世界を変えよう! こうして、私は新たな会社「マナティーチ」を興し、ベトナム人に簿記を教えるようになりました。
留学生は3月までに日本企業から内定を得られないと、母国に帰らなければなりません。しかし、マナティーチの生徒は雑草のようにたくましいです。学歴はありませんが、見事、東京の会計事務所や事業会社の人事部に就職が決まりました。そして、「永井さんに会って、人生が変わった」という言葉をかけてもらいました。
私が彼らの人生を変えた? すごく嬉しかった。これが仕事なのかと。これが私が探し続けてきたことなのかと。
会場のどこかに、10年前の“私”がいるかもしれません。その方に、こう伝えたい。「周囲はいろいろ言ってくることでしょう。でも気にせずに動いてほしい」と――。最初は思いつきでもいい。それを正解にすればいいのです。
ワークもライフもすべてをキャリアにする
塚越 学さん(Manabu Tsukagoshi)
10年近くの監査法人勤務、マネージャー職を経て、異業種へ転職。(株)東レ経営研究所上席シニアコンサルタントに加えて、NPO法人ファザーリング・ジャパン理事、認定NPO法人フローレンス監事としても活躍。人財開発・働き方改革などのセミナー・コンサルティングを数多く実施。企業や国・自治体との連携・協働で子育て環境や人事労務の改革に挑戦中。三児の父親として3回の育休を取得。 「会計・監査ジャーナル」の連載を含む執筆、メディア掲載・出演多数。
公認会計士としてキャリアをスタートした頃、大手企業の粉飾が相次ぎ大手監査法人が解散する社会背景の中、私は社会的使命感に燃えながら、一方では資本主義社会に空虚感を覚える日々を過ごしていました。
私は社会起業家に注目するようになり、NPOのセミナーを受講して情報収集に努めました。欧米では、高学歴な人材が上場企業に勝るとも劣らない規模のNPOで活躍しており、日本でもその息吹が出始めていました。
同時に、人材育成にも関心を抱くようになり、デロイトの人材育成講師プログラムをクリア。プライベートでは結婚、第一子の妊娠が分かりました。
「子育てパパ力検定」を仕掛けた安藤哲也さんの「良い父親ではなく笑っている父親を増やそう」という考えに共感し、子が生まれる十日前、彼が運営するNPO法人ファザーリング・ジャパン(以下FJ)に入会。子が生まれる前日、メインクライアントがあった秋葉原で、後に「秋葉原通り魔事件」と呼ばれる事件が起こりました。
生まれた息子を初めて抱きながら、私は思いました。どんなに大切に育てても、誰かに殺されるかもしれない。この子だけを幸せにしようとしてもだめだ、子どもを取り巻く社会環境そのものを少しでも良くしなければ――。以後、私は社会活動を加速させていくこととなります。
新生児の育児は、仕事とは「大変さ」の質が違います。私は夫婦で子育ての苦楽を体験したいと思いました。幸いなことに、FJに父親のロールモデルがたくさんいました。父親も仕事と育児を両立できると確信し、男性で初めて1か月の育児休業を取得しました。
トーマツには、仕事とプライベートの両立を目指す「TWin プロジェクト」がありますが、当時、プロジェクトのメンバーはほぼ女性。リーダーに直談判し、私もメンバーに加わりました。
その後、FJでファンドの立ち上げを検討するようになり、公認会計士の私がコアメンバーに選ばれました。児童扶養手当がシングルマザーのみを対象としている点を懸念し、「父子家庭応援基金」を設立。2か月でスキームを作り、記者会見に臨みました。
同時に、全国に点在する父子家庭応援団体を1つにまとめ、全国父子家庭支援連絡会を設立、FJはそのバックアップをしました。
当事者が動いたことで国も動き出し、児童扶養手当法が50年ぶりに改正。こうして、シングルファーザーも児童扶養手当の支給対象になったのです。父が本気になれば、国を変えられる。笑っている父が、社会を変えることができることを身を以て知った経験でした。
FJやTwinプロジェクトの活動の中で、東レ経営研究所の佐々木常夫さんと出会い、彼が提唱するワークライフマネジメントを私も実現したいと思うようになりました。
さらに、FJのファンド第二弾として、男性の育休応援ファンド「さんきゅーパパプロジェクト」のリーダーとして、父親の育休促進に関する取り組みを実績にすることかできました。5年後、このプロジェクトをベースに、内閣府が国家事業として「さんきゅうパパプロジェクト」を立ち上げました。
トーマツではマネージャーに昇格。プライベートでは二人目の子どもができ、産前産後の休暇を取得。その後、義父の介護問題に直面。多忙な日々を送りながら、私は「育児と介護の経験を活かした仕事を本業にできたら」と思うようになりました。
そんなとき、トーマツが早期退職募集を発表。佐々木さんがいる東レ経営研究所への転職を決意しました。その直後、佐々木常夫塾を創設し、6期まで運営。FJでは、新しい時代の理想の上司(イクボス)を育てるべく「イクボスプロジェクト」のコアメンバーとして推進。イクボス企業同盟加盟企業が11社から211社にまで拡大しました。
やがて私自身も講演やメディアへの出演も多数いだくように。東レ経営研究所では複数期で連続トップセールスを打ち出し、上席シニアコンサルタントに昇格しました。子どもは三人になり、専業主婦だった妻も今は正社員。共働き体制になったことで世帯収入は監査法人勤務時代を超えています。
ワークもライフもすべてが私のキャリアになりました。キャリアにアップもダウンもありません。私自身が命を燃やしてきたすべてです。そのすべてが強みとなって、人と人とを繋げ、未来に繋がっていきました。だからこれからも、ワークもライフもすべてをキャリアとする。その決意と覚悟で生きていきたいと願っています。
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